攻殻機動隊/イノセンス/思い出

新文芸坐のオールナイト「押井守ナイト」に行ってきた。「攻殻機動隊2.0」「イノセンス」「機動警察パトレイバー」「機動警察パトレイバー2 the Movie」の押井代表作四本立て。ほぼ満員の盛況で、客層も比較的若者が多かったように思う。女性客は2〜3割くらいか。それなりにファンの入れ替えないし取り込みが進んでいるのではないかと、そんな印象の現地だった。

押井守といえば眠たいアニメの代名詞であり一般にはオールナイト難度の高いプログラムかもしれないが、何周か再見している俺には楽勝の一晩だった。ロードショーではないので現場感はゼロだったが、押井さんとこのお子さんとは気心の知れた仲だしぃー、安心して椅子に座っていられた。



さて、イノセンスの感触が過去の視聴どれとも違っていたので、記しておきたい。目玉作品を一本目におくいつもの新文芸坐のやりかたからして、たぶん今回もDJ(映画館スタッフのことね)は近作である「攻殻機動隊2.0」を先鋒に配し、無難に続編の「イノセンス」を並べ、以前の押井守ナイトではマイナー作品尽くしだったので後背はメジャーな「パトレイバー」で固めた、といったところか。磐石の四者である。しかし磐石であるが、四者を並べるならイノセンスこそしんがりに相応しかったのではないかと、見終えて思う。

イノセンスの公開時、当時もはてな周辺をうろうろしていた俺がいまでも覚えている短評に、押井守の集合体のような作品、という見解があった。俺も近い理解をしていた。「そろそろ仕事の話しないか」「魚」「鳥」「犬」「発砲は避けるって……」「だから避けたさ、可能な限りな」「物語を止めるモンタージュ」「2501」「素子にジャケットを着せるバトー」「素子の後ろを固めるバトー」。なるほどイノセンスは、押井守によってつくられた、押井守ライクな映画であった。

もっというならイノセンスは、思い出の映画となれた、映画だ。

意外にも、と今回の連続鑑賞まで掴めなかった俺も意外だが、押井作品にはノスタルジーの匂いがある。たとえば攻殻機動隊で現実と虚構の境目の曖昧さを説くのに「思い出」をキーワードにあげること、その数(たしか)三回。あの映画のメインキャラクターの誰の思い出も読者には報せないというのに、人間性とでもいうべきものの瓦解の説明として、メインキャラクターが「もしも思い出が改変されたら」を例に出していう。

押井作品がそうなのだから、必然その集合体であるイノセンスもまた、ノスタルジーを身にまとう。イノセンスは思い出を欲する。攻殻機動隊を見た記憶、1995年の映画の記憶、もっといえば押井守の諸作品との逢瀬を糧にして醸成されるのがイノセンスだ。イノセンスはリフレインする。イノセンスは読者のニューロンに結線したがる。

ゆえに、か。俺は今回初めて攻殻機動隊イノセンスを連続鑑賞したわけだが、その間15分、こんな短いインターバルでは情報は思い出と呼べるほどに朦朧せず、イノセンスは脳を叩いては鷲掴みで攻殻機動隊を引っこ抜き去っていくのであった。なんと直裁で、雅のないことよ。踏み入れた足が枕を蹴り棚を崩しカップが割れ濡れた床から拾った本は開くのさえ容易ではない、そんな雑多な部屋でこそ、イノセンスが起こす波紋の塩梅はよろしくなるというものだ。

俺はてっきり攻殻機動隊イノセンスを立て続けに見れば二倍幸せになれるものと安直に構えて劇場に出向いたが、どうやらそんなに単純な続柄では両者はないらしく、せめてパトレイバー二本をあいだに挟んでしんがりに構えれば……いやいやどのみち押井作品だしな……イノセンスはすぐ他の子とくっつきたがるからもっと離しておかないと……つまり次に再見するなら忘れたころってことか……それも寂しいよな……。