伊勢田大博覧会3に行ってきた

cajolery2008-12-29


新宿ロフトプラスワンにて開催された「伊勢田大博覧会3」に行ってきた。自作マンガを自身でアニメ化、脚本・演出・作画・撮影・編集・声優・主題歌・劇伴などをすべてひとりで手がけるという新海誠もびっくりの離れ業を、しかしあまりに歪んだクオリティで実現してしまい、一部で熱狂的なファンを持つ伊勢田勝行氏の作品の上映会である。詳しくはこちら(http://homepage2.nifty.com/DA-KIKAN/iseda/)。感想をひとことでいえば、当たりも当たり大当たりのイベントだった。ほんと行ってよかった。コミケ行ってる場合じゃないんだぜー!

客は70名弱入ったようで、超満員とまではいかないが、用意された座席はほぼ埋まったかたち。年齢層は高めで、30代以上がほとんどと思われる。男女比もかなり男性に偏っていた。この手のサブカルイベントの常連さんが集まってるような印象もあったが、別においら本意気な観測者じゃないんで、どうだろう。



伊勢田アニメについては百聞は一見にしかずで、とにかく紹介VTRをご覧ください(http://jp.youtube.com/watch?v=iJLvLJecYgs)としかいいようがない。見たね。見た前程で書くよ。俺の関心は、なぜ・彼は・このようなものを・つくってしまうのか、にあった。普通は途中でやめるよ、こんなの。書くという行為は読むという行為であり、氏はつくりながらヘッタクソな自分の作品をつきつけられたのであり、途中で挫折しても責められるどころか誰もが賢明な判断だと肩を叩いただろう。けれど氏はやめなかった。氏は完走した。一度や二度でなく何度も完走した。つか今現在だって新作を鋭意制作中だという。なんなんだ。あんたどういうつもりなんだ。

氏がカルト作品を目指してこのようなブツに至ったのではないことは、今回、作品の合間合間に挿まれた伊勢田氏本人の解説VTRからも理解できる。氏は前衛芸術やアウトサイダーアートを志したのではない。氏はマジだ。氏はメジャー志向だ。氏のメンタルは商業作品を目指してしかしあれらに行き着いているのだ。

たとえば「でりばりんぐ」の原作マンガはもともと(おそらくりぼん誌への)投稿用作品であり、氏は「10代の少女にウケるような絵柄で」「結末も投稿作らしく」変更したという。Aパート→主題歌→Bパート→アイキャッチ→Cパートといった構成もコマーシャルのあるテレビアニメをなぞったものだし、氏は既存の枠に囚われている。氏は自由ではない。しかし伊勢田アニメは破格なのだ。

氏のアニメが他に類をみないのは、たぶん単に技術力が追いついていないだけなのではと思う。氏に氏の脳みそに納められている理想形を伝えるだけのコミニュケーション能力があり、氏の配下に優秀なスタッフがいて、氏に彼らを統率するカネなりカリスマなりがあれば、ウェルメイドな一級のエンターテイメントができあがることと思う。氏の書くストーリーには起伏やカモフラージュされた伏線の回収がきちんとある。いわゆる超展開(普通のラブコメかと思ってたら前触れなく天使や死神が登場)の背後にもロジックがあり(主人公の使っていた羽ペンが実は天使の羽だった)、演出次第では違和感なく飲み干せると思う。

じゃあそんなアニメを見たいかと問われれば、俺は全力で首をふる。氏に理想形を達成してもらっては困る。氏には不完全でいてもらわなくては困る。氏の不幸は読者の舌を悦ばせている。ただ氏のいたらなさを指差しバカ笑いするのもまた違う気がする。氏が創ったかもしれない理想形の「浅瀬でランデブー」や「でりばりんぐ」を幻視できたとき、伊勢田アニメの読書体験はさらに豊かなものになる。