週末の国立近代美術館

東京国立近代美術館で公開中の「現代美術への視点6 エモーショナル・ドローイング」に合わせて開催されたシンポジウム、「ドローイング再考 テクネーとアートのはざまで」に行ってきた。パネリストとして参加される売れっ子精神科医斎藤環氏目当てという、たいへんミーハーな動機だったが、楽しめた。

ドローイングとは、ありふれた画材で作られた完成品以前のラフのようなものをいう、らしい。らしいというのは、シンポジウムを聴講し展覧会で作品群とじかに対面してもなお、その定義が固まらないような概念であり、たぶんレクチャーすることが有価ではないたぐいの概念だからだ。

プログラムはパネリストの四名(ヤン・ジョンム氏、金井直氏、斎藤環氏、中林和雄氏)が順に発表をし、最後にディスカッションを行うという3時間構成。閉会が30分押したため展覧会の観覧は翌日にまわす羽目になったが、結果的にはよかった。この展覧会、16人の作家陣の個性が錯綜しまくってるがゆえに、居心地がよろしいポイントが誰しにも見つかるはずなので、ぜひ時間のたっぷりとれる休日にお勧めしたい。

さてシンポジウムであるが、洋の東西での石膏デッサンの普及の差異にフォーカスした金井直氏と、精神分析における描画療法アウトサイダーアートの二点を紹介した斎藤環氏の発表が、印象深かった。ドローイングとはなにか、を語るではなく、あれもこれもドローイングと見なせるのではないかと、両者に共通していたのはそういった視座だったように思う。なるほどドローイングは定義を決め打ちできない概念だ。だがラベルの貼られていない箱にはなんでも放りこめるのであり、それはすなわち、豊かということなのだ。

一方で(尺が足りないということもあり)ディスカッションはいまいちであった。専門家同士の質疑応答に終始していて、テーマを深めるに至っていなかったと思う。もとより曖昧で固定化しにくいドローイングという概念に、さらに多方向からライトを当てるような企画だったのだから、そりゃできあがるシルエットは複雑怪奇よね、という。