ポレポレ東中野の「松江哲明セレクションオールナイト」に行ってきた

cajolery2009-08-08


ポレポレ東中野で公開中の松江哲明監督作品「あんにょん由美香」のヒットを記念して、監督当人による編成のオールナイトが上映された。ので、行ってきた。中央線の遅延のせいで10分前に入った劇場は、ほぼ座席が埋まっているというほどの盛況であった。なんとか座れたが、最終的には通路にまで客が溢れる100人強の満員状態。その誰もが濃いお顔というか、男も女も好みの面相がずらり目白押しだったので、休憩時間はじろじろと人の顔ばかりみていた。眼福であった。おそらく業界人と思われる会話や、現地で知人と遭遇したらしいやりとりがそこここで交わされていて、それなりの現場感があった。この人垣にいるだけで金額にみあった充足感がえられる客層であった。

以下、プログラムの順に、あれこれ。

  • 松江哲明監督とプロデューサー氏によるトーク
    • 質疑応答あり。Q:「あんにょん由美香」のラストは初めから決まっていたのか? A:初期稿は別に存在したが、取材を始めて4〜5ヶ月たって「純子」の脚本が見つかりラストが決まった
    • ちなみに初期稿では、通訳の女の子の目線で描いたフェイク・ドキュメンタリー風だったそうな
    • 松江監督はドキュメンタリーを撮る際にも、予めラストまでプロットを作っておくという(が、そこに着地するかどうかはまた別)
  • 田尻裕司「OLの愛汁 ラブジュース」
    • オープニングのスタッフクレジット、椎名林檎「ここでキスして。」が流れどぎもを抜かれる。ソフト化されたバージョンとは大きな差異があるとのふれこみだったが、どうやらこの曲を無断使用していたものらしい
    • でも「ここでキスして。」ってエンディング曲だよな(椎名の曲だとシングル版「幸福論」とかもそんな感じ)。冒頭5分で映画が終わった気分にさせられ、おもしろかった
    • 概要は、美術大生の青年とそろそろ30の大台が見えてきたOLの、出会いと、自然なすれ違いと、別れが、丁寧に描かれるピンク映画
    • 時間の経過を日めくりカレンダーのように演出するデスクワークのカットが、チープな味でおもしろかった。なぜか一回だけアングルが傾くし
    • ずっとなにかに似ていると思っていたのだが庵野秀明ラブ&ポップ」の三輪明日美のモノローグだと気づき、膝を打つ。ラブ&ポップの登場人物の10年後の姿、という読書はどうかと思いついたが、この思いつきにも俺のセンスのなさが端的に現れている。三輪明日美がどう成長しても今作の久保田あづみにはならないだろう。両者は人生の階段の上下に位置するのではなく、三輪明日美援助交際に勤しんでいた「一方そのころ」久保田あづみは年下男との愛欲に溺れていた、という続柄のはずだ
    • という意味でも90年代末らしい、映画(1999年公開作品)。見れてよかった
    • 松江哲明氏によれば当時、カラミのシーンで男女が会話をしているのが衝撃的だった、とのこと
    • 松江哲明氏によれば氏の林由美香のイメージは、まさにこの映画の役どころと重なるらしい
  • 松江哲明「双子でDON」
    • どっきり企画もののAV。人はセックスの最中に相手が入れ替わっても気づくものなのか? というテーマを、一卵性双生児の女優2人の協力を得て実験。ラストは監督の言葉を引けば「ドッキリの先」にまで到達している、バラエティともAVとも違う、なにか
    • たいへん面白かった。劇場には笑いが耐えなかった
    • 一方で、大勢の人間でAVを見るという当夜のシチュエーションに、ひどく背徳的な気分が混ざる瞬間があり、俺によって俺は興醒めした。誤解なきようつけくわえれば、今作はフィルムや監督本人の談話から判断するに非常にアットホームなムードのなかで撮影されており、双子姉妹にも躊躇や罪悪感はないようだった。つまり俺の興醒めは、部外者の倫理観(たぶん近親相姦が俺コードに引っかかったな)がかってに生成したものであり、俺は息をひそめみんなの邪魔にならないようするしかなかった
    • まあそんな大袈裟な話でもないんだが、今後の課題として記録に留めておこう
  • 工藤義洋「家族ケチャップ」
    • 日本映画学校の卒業制作として撮られたセルフドキュメンタリー。撮影者の友人を被写体に、彼が離散した肉親に殴りこみに近いようなかたちで過去の所業を問い質す様を描く
    • 近年問題になっているいわゆる「メディア・スクラム」をする側の、気分の一端を味わえたのが希少だった
    • 被写体の青年の、カメラ慣れしていない台詞回しの抑揚が、ひとづきあいの苦手そうな彼の人柄を伝えている
    • パフォーマンスを「させてる」カットが要所要所に挟まるのだが、それらをさせる承諾を得られるくらいには、撮影者と被写体の距離は近しかったのだと想像できる
  • 松江哲明氏とプロデューサー氏によるトーク
    • ここまでの三作をざっと振り返る内容
  • 松江哲明監督最新作
    • 一応、当夜までシークレットとされていた作品。上映開始直後、機材の不調で音声が途切れ途切れに再生され、会場にライトがともった。皆さん大人なので特に騒がしくなることもなく、頭から再度上映再開
    • タイトルは「ライブテープ」。ミュージシャン前野健太が2009年元旦の吉祥寺を歌い歩くゲリラライブを80分1カット一発撮り、という作品
    • アレ? これに似たアイデアを過去に聞き知っているぞナンダッケナと帰宅後調べてみたら、監督本人のブログで読んでいた(http://d.hatena.ne.jp/matsue/20090101)というオチ。俺に忘れられない記憶はないんだぜー
    • 正直、このアイデアだけで一本の映画が成り立つという監督の確信に、たじろぐ
    • これは「あんにょん由美香」のときにも思ったのだが、ドキュメンタリーをつくろうという出発点の初期衝動において、撮影者と俺とはおなじ椅子に座っていない感覚が強い。「あんにょん由美香」に至っては俺はミステリ的な読み方をしていて、「なぜ撮影者は『東京の人妻 純子』に注目したか」「なぜ撮影者は林由美香のキャリアと『東京の人妻 純子』を結びつけるのか」を意図的にオミットしているような印象を覚え、いつか明かされるホワイダニットとして読んでいた。「すでにいない誰かを追憶するミステリ」というのは大好きな恩田陸を連想させもしたしね
    • 今作でいえば、元旦の吉祥寺サンロードの森閑の価値や、前野健太の歌と監督の近況なんかは、かなり個人的なものだと思う
    • が、両作品がすばらしいのは、俺が不在を感じている映画がその着地点において、かなり強度の高い普遍性でもって遠方の俺をも巻きこんでしまう点だ。たぶんその普遍性はたまたま撮りえたものなんかではなく、偶発とテクニックと確信のたまものなのではないかと、思う


上映後、拍手が巻き起こり、監督がそれに応えた、というか応えられていなかった。俺はどちらかといえば今夜の編成や貴重なフィルムに拍手を捧げた。帰り際、「ライブテープ」のプレスを頂いた。午前5時過ぎの駅のホームにはプレスを手にした観客がぽつぽつと、共同体験のあとのへんな距離感と連帯感で、電車を待っていた。