エヴァ破に関する私的メモ

エヴァファンなら必ず持っていた角川書店発行のフィルムブックには、各シーンの解説が載っていた。私はかなり後になって読んでみたのだが、第六話のラストの解説にこうあった。「結局、このときレイにはゲンドウしか見えてないのだ」。

「序」のラストで助け出されたレイがシンジの姿にゲンドウの幻影を重ね合わせないことにみんな凄く食いついていて、そんなワンカットのことよく覚えてんなと不思議だったが、こういう背景があったとは。


アスカがボコられたあとに「シンジさん可哀想すぎる……。俺はこんなにしょんぼりした気持ちで映画館を出なければならないのか……」というポイントで出てきたマキは本当に良かった。ナイスメガネ。歴代メガネヒロインどものメガネを一つ残らず割るぐらいの爽快な活躍。シンジのみならず俺も救われたー。

まず映画全般の心証。わりと近い感想を辿った人でも、ココで俺とは分岐したらしい。「ナイスメガネ」。なるほどなあ。おもしろい。


その頃、エヴァという作品に対して「こうだったらいいのにな」というフラストレーションが蔓延していました。
しかしまあ、そうは思ったところで実際には出来ないもんです。
小中学時代、色々と上手く行かなかったことを思い出して「今の俺ならこうできるのに」と埒も無い悔恨を抱くのは誰にでもあることでしょう。
だから、やってみた。そういう映画です。

つづいて踏み込んだ理解。ヱヴァはエヴァをやり直そうとしている映画である。ヱヴァは願っている映画である。


シンジが「綾波を返せ!!」と叫んだのは、ぼくが庵野監督に言いたかったこと(EOEの綾波に激しく不満だった)でもあったので、それでオールOKになった。

たとえば今作のレイについて。


「私には代わりがいる」に即、「綾波に代わりなんかいない!」もう嬉しくて泣けた。ずっと誰か綾波にそう言ってあげて欲しかった。しかも、それを言ってくれたのが碇シンジ君だという喜び。

たとえば今作のレイについて。ぽかぽかする。


庵野監督と彼の描くシンジ君は、この14年間で1つの壁を越えたようだ。それを踏まえて自分はどうか?旧エヴァにすがったまま、何の成長もしていないのではないか?

一方でこういう想いもあるんだと、忘れてはいけない。みんなが楽しい嬉しい喜ばしいとさわがしくしている部屋の隅に、そうでない人がいてくれるおかげで、今日もせかいは豊かさを減ずることなくつづいていける。


366 名前:名無しが氏んでも代わりはいるもの 投稿日:2009/06/27(土) 19:26:39 ID:???
>>349
お前は何もわかってない
俺たちにとってエヴァ
人生の一部で
体の一部で
心の一部なの
エヴァの為に貴重な数年、胸を焦がし続け涙したあの時代があったから行きてられるの
人生の一部を文字通り差し出して、犠牲を払って視聴し続けたんだ
お前に何がわかる

俺たち! 俺たちときた! ためらいのない大きな主語はほとんど感激の領域。彼らが後方から襲ってくるゴーストに身を削ってくれているその間に、戦場が地続きになっているとも気づかない誰かたちはにこやかに映画館を出ていくのだ。すばらしい。


最後は引用不要。文句なくすばらしい。こういうテキストを書いてもらえる「破」さんは果報者だー。