"ポニョ強行軍"惨敗

cajolery2008-09-14


入れ替え制を布いていない新宿東亜興行チェーンにて、21:35回・23:50回・26:05回の「崖の上のポニョ」をチケット一枚で三連続鑑賞した。オールナイトレベルを上げるため、当館の新宿での夜明かし機能のほどをチェックするため、宮崎駿作品なら複数回視聴に耐えるだろうという見通しのため、などが理由。結果はみごとに惨敗。二回目はところどころ意識がブラックアウトし、三回目にいたってはエンディグのポニョの歌に起こされる始末。オールナイトマスターの背は遠い。映画はおもしろかった。

ストーリーを追おう。この映画でただひとり、何かしらのビジョンのもと行動している人物がマッドサイエンティスト・フジモトである。彼だけが計画し、貯え、実践しようとしている。一方でポニョの宗介への想いが、その企みを妨害してしまう。ポニョと宗介が再会するまでのストーリーは、以上、(宮崎駿監督近作にしては)ダイナミックとさえいえる。津波と車のチェイスという今作最強の想像力とアニメーションも、ここに配置されている。

結局おれのポニョへの興味はここで途切れ、以後バクスイが多発するのであるが……。

ポニョも宗介もそのモチベーションは場当たり的で、宗介が好きだから会いに行こう、母が帰らないので探しに行こう、といった5歳児の目の高さだ。遠くはみていない。懐中電灯じゃ手元しか照らせない。フジモトの企みがストーリーから無視されるのと時を同じく、映画からダイナミズムが霧消した。住民は大洪水なるオオゴトに順応し、フジモトはカンブリア紀めいた海をみても喜びもせず、それまでのストーリーとの連続性もなく月が墜落するという。ポニョが「人間の血を舐めたせいで」「人間化する」といったような、もっともらしい説明すら映画から消えていく。

解決すべき問題は舞台になく、登場人物の心性へと純化していく。
それは当日の俺には、睡魔にしか寄与しなかった。

千と千尋の神隠し」は、あれはいい夜中アニメだった。夜中とろんとした目でみるに相応しいアニメ。とちゅうで停止ボタンをためらいなく押せるし、最後まで見終えて床につくのもよろしい塩梅。「崖の上のポニョ」はまた違う。ポニョと宗介が再会するまでのストーリーの強度は、昼の太陽のように眩しく強い。ポニョが俺にとってどんな映画かいまだ判然としない。三番も戦って測りかねたことを、惨敗といわずしてなんといおう。